私は、ガモン病院でFSS(おとがい、エラ、頬骨、眉骨の輪郭形成)を行いました。
正直に言えば、私がISK
bangkokを選んだの理由は「安いから」でした。
とにかく予算がありません。なので来る日も来る日も眺めるのはバーツ円のチャートばかり。
そんな感じで少しでも費用の安い会社を選ぼうと思って兎にも角にも手当たり次第、アテンド会社というアテンド会社に見積もりをお願いしました。
するとどうでしょう。
アテンド料金が違うのは当然として、素の手術費用までも違っています。これには納得がいきません。何せ半年かけて綿密な資料を作成したのですから、同じ病院であれば同じ施術費用になるはずなのに甚だ不可解なものです。
ですが、そんな中で誠実かつ明瞭な見積もりを出してくれたのがISK
bangkokでした。
「施術費用は直接病院へ。航空券代金は直接航空会社へ、滞在費用は直接ホテルへ、アテンド料金はアテンド会社へ」これ以上無い程に判りやすい料金体系に惹かれ、そして不安なことや不明なことにも真剣に答えてくれるところから信頼を感じ、契約に至りました。
そしていざ
渡航の日、見積もりで示された航空券代金よりもトータルの交通費が安くなるという理由で海外旅行の経験も無いのに身の程を弁えず広島空港からの乗り継ぎ便を予約したため
バンコクの空港にたどり着くまでがサバイバルでした。
道中の航空機内で定番の「beef or chikin?」的なやつが全部中国語で軽くパニクっていたところを隣の席の女の子に親切にしてもらったり、航空券の半券をなくして大連の空港で足止めを食らって半泣きになっていたところを日本語の上手な中国人に親切にしてもらったり、北京国際空港のターミナルで
バンコク行きの搭乗口がわからず2時間ぐらい彷徨った挙句に空港職員に罵声を浴びせかけられたり、搭乗手続きをするところから搭乗口のあるところまで電車で移動することに面食らったり、そんなこんなで命からがら
スワンナプーム国際空港に辿り着きようやくケットさんと対面できたときには何やら一大事業を達成できたような気分になりました。
けれど本番はこれからです。まずは空港に着くまでに消耗した体力の回復が第一なので道中タイの町並みとかを眺めたい気持ちを圧してとにかく寝て、それから病院に着きカウンセリンが始まるまで3時間ぐらいある間もやっぱり寝ます。
そして11時半、はじめは病院での手続きです。明るくて清潔なエントランスが綺麗になれそうな予感を盛り立ててくれて、否が応でも期待が高鳴ります。
途中で合流した矢野さんがケットさんとともに手馴れた様子で手続きを進めてくれるので全く不安は感じませんでした。
そして本番のカウンセリング、いよいよガモン先生とのご対面。その出で立ちと語り口が卓越した技術と経験を感じるさせてくれるので、より安心が深まります。
その後、契約書にサインをし、手術費用とアテンド料金を支払いシャワーと着替えを済ませていざ手術台へ。そこまでくるとさすがに緊張が高まります。なにせ初めての海外で初めての美容整形、初めての
全身麻酔に加え、事前の説明では命を落とすリスクまで示唆されています。何を考えても不安がぬぐえません。近くで矢野さんが声をかけてくれているのもどこか遠くに聞こえます。
気がつくと「終わりましたよー。」というケットさんの声が。とりあえず、生きていました。
とりあえず、手術後の人生を生きていくことはできそうでした。
とはいえ、手足の自由は利かず目もほとんど見えず。周りの状況は何一つわからない、唯一血圧計のベルトの収縮だけが生きていることを実感させてくれる。そんな極限状態が丸一日ぐらい続きます。その間着きっきりでケットさんがそばにいてくれたことだけが唯一の心の支えとなっていました。
それから2日、3日と経つにつれ緩やかに回復し、かろうじて目を開けて時計を見ることができる状態から、徐々に頑張れば
スマートフォンを見られるぐらいに回復し、3日目の終わりには血液のドレーンや点滴のチューブも外され歩く練習もしますが、直後はまだ病棟内を歩くのがやっとでベッドに戻った瞬間に激しく嘔吐。
それでも一頻り歩行ができたということで
尿道カテーテルが外されることに。
ものすごく痛いイメージがあったのに反して実際はあんまり痛くない。
決死の構えで挑んでいたために少し拍子抜けです。
そしてその時にトイレの鏡で整形後の自分自身とご対面。腫れがひどくて決して綺麗ではありませんが、そこには紛れも無い「女性の顔」がありました。安心と希望と、それからうれしい気持ちが一気に沸いてきてそれまでの苦しさが癒されていきます。
そんなことも功を奏して4日目の朝には驚くほどに体力も回復、荷物の片づけからホテルへの移動の準備まですべて自力でこなすことができる程になっていました。
4日目の昼からはホテルでの滞在です。といっても場所は同じ病院の中で階が違うだけなので移動はほんの数分。内装もほとんど同じで、違いといえばベッドがダブルベッドになっていたぐらいです。
この時になると体力もほとんど元通りで、口が開きにくいこととか、痛いことで食事がしにくい点も日を追う毎に回復し、滞在2日目からはタイ料理にも挑戦。食べてみるとすごい美味しくて。
滞在も後半になってくるとケットさんと一緒に食事の買出しへと出かけるようになり、それから半年後に予定している音声女性化手術のカウンセリングや回復記念の観光などで
バンコクの中心部へと行く機会もあり、煌びやかで洗練された街並みの中に見え隠れするエキゾチックな情景や道中に見える人々のエネルギッシュな息遣いなど、日本では見ることのできない異文化を肌で感じたりもして、どこかうれしくて楽しい気持ちになります。
そんな感じで苦しいことも楽しいこともたくさんあった滞在も最後となった日、何気に一番印象に残っている出来事がありました。
お昼の買出しの途中、病院のロビーで何やら看護師さん達が集まっていて、ケットさんと一緒にその中に入ってみると患者さんの一人が赤ちゃんを連れてきていて、聞くにハーフとのこと。それが超かわいい、それから勇気を出してほっぺたをつんつんしてみると、やっぱり超かわいい。そして赤ちゃんもソレを嫌がらずに受け入れてくれているようで、それから最後に集まってたみんなと、そして私にもハイタッチしてくれて、なんだかその場の仲間に入れてもらえた気がして嬉しくて仕方がありませんでした。性別の移行に踏み切らなければ、FFSをしていなければ、そんな場に入っていく勇気が出せなかったかと思うと、それだけでもここでこの手術を受けてよかったと思えてきます。
それから最後の検診、抜歯、消毒を終えて帰国の途、去り行くタイの街並みに名残惜しさいっぱいの中で空港へ。そしてケットさんとも涙のお別れ。
行きは大変だった空港の乗り継ぎも帰りは慣れたものでスムーズに...
と思ったらまさかのハプニング。
パスポートの顔写真と顔が違いすぎていたために北京国際空港の入国審査で足止めをくらい、入国審査官の人の「あんた男?それとも女?」という質問に対し「男です。」と答えると若干キレ気味で「はぁ?男?」と返され、それ以上の面倒ごとはいやだったので病院で発行してもらった手術証明書を見せると、何やら空港職員が4人ぐらい集まってあれこれ面倒くさそうな話し合いを始め、英語でいろいろと聞かれた上に何かよくわからない処理をした上でようやくスタンプを押してもらい、なんとか入国からの乗り継ぎで帰国することができました。面倒くさい事になったなと思った反面、確実に外見が変わりパス度が上がっていることを実感できたので正直なところ内心は少しだけ嬉しかったです。
そして帰国後は一人暮らしをはじめました。
それから一ヶ月ほど経ち、腫れと痛みもほとんど引いて、服装の移行も行い、変化していく外見とともにこれまでとは打って変わって生活が上向いていることも実感しています。
まだまだしなければならないことや出来ていないことは沢山ありますが、一つ一つ、出来ることから順番にこなし、望む性別と望む人生に身を近づけて行きたいと考えていますし、きっといつかはそれが出来ると今は思っています。
そんな気持ちでいられるのも偏にガモン先生の整形技術と、それを良心的な対価で対応して下さったISK
bangkokのおかげです。
このアテンド会社を選んだことを、心からよかったと思っています。本当にありがとうございました。